苫野先生の本と広田先生の本は、子どもにとっての「安心できる学習空間」について同じことを述べているし、これはクリシュナムルティにもつながる。
クリシュナムルティはヴィパッサナーの概念と強く結びつく。
インテグラルエジュケーション研究会でテーマとなった言語と発達について考えていたところ、熊野先生の中でルソーとコンディヤックの言語についての認識に出会った。
フランクルの『意味への意志』を読んでいたら、ウィルバーの”統合への衝動”が頭をよぎった。
ロックの観想やアリストテレスの存在論は、気づけば原始仏教と比較しながら読んでいた。
それぞれ、上で述べたような気付きを求めて選んだ本ではない。
全く偶然の導きで、どんどん様々な体系がつながっていく。
昔、ある人に「君の強みは、他の人にとって一本の細い線でつながるかどうかといったことが、いくつもの線でで結び合わされているように見えるんだね。」というようなことを言われたことがある。
ブルーム理論における「統合」という働きに近いと思う。
確かに自分はそうした「統合」という思考作用に強く魅了されているけども、今はそれ以上にこうした「セレンディピティ」的な何かに神秘性を感じている。
鈴木規夫氏がブログの中で、探求という行為自体が何か大いなるものに与えられた特権である、というようなことを述べていたが、その感覚が今なんとなく分かる気がする。
もちろん、自分の興味関心に合わせて手にとった本なのだから、ある程度似通っているといえば似通っているのかもしれないが、それにしてもこうした出会いに数多く恵まれることに対しては幸運を感じる。
統合という方法は、世界の見え方をより深く、直観に近づけていく方法だと思う。
この世界を、フロイト心理学や量子論だけで説明できると思っている人はあまりいないだろう(いるかもしれないけど)
それぞれの世界で探求していった結果、経験的に獲得されたその領域での真理を統合していくことで、ありのままを観ることができるような気がする。
ブルーム理論では、統合の先に「創造」がある。
最終的に自分が何を創造できるのか、自分ごとながら楽しみだなーと思ったコーヒーブレイクでした。
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