2014年4月21日月曜日

第四回インテグラルエジュケーション研究会に行って来ました

遂に、ずっと行きたかったインテグラルエジュケーション研究会へ行くことができました。

僕がかつて参加したどんな勉強会よりも良質な空間だった気がします。

参加されている他の方々の発達のレベルが凄い。
社会人の方ばかりだったのですが、それぞれ多様な立場から教育を探求している方で、皆さん本当に素晴らしい知見をお持ちでした。
かといって、それをひけらかすような態度が全く無い。
包容力とみずみずしい知的好奇心を備えた素敵な方ばかりでした。

テーマは言語と発達について。
工藤順一先生の課題図書を参考にしながら、あっという間に3時間語り合いました。

ここにきちんと書くとものすごい分量になってしまうので、自分への備忘録も兼ねて今回はメモの形で学びを記述しておきたいと思います。

■ロバート・キーガンの発達理論について
「本当に著書で述べているようなエクササイズだけで人は変容するのか?」
➡いくつかの条件がある。

例えば、4つのコラムを”しっかり”と埋められていること。
当人にとって、根幹に関わるような重大なテーマを記述できていることが必要。
他人にとってそうしたテーマは些細に見えることも多い。

一人ではなかなかそうしたテーマを書き出すことは難しいので、コーチの意義が生ずる。

また、一回ではなく、そうしたテーマを複数克服していくことではじめて変容に至る。

■言語と発達
クロイターによる文章による発達段階のテスト。
ヴィゴツキー 「言語が発達を媒介している」
外国語学習によって初めて母国語を相対化できる➡自己と世界の相対化、という構図が発達の構図と似ている

■神話的段階と神話的合理性段階の違い

・神話的段階
「ベッドの下になにかいる」という感覚
未知のものに対する恐怖を物語、解釈によって安定させる。
おみくじや占星術、手相などを信じたくなる。

・神話的合理性段階
「神学」
神話に対して内省的になる段階。
客観的前提を共有できている他者としか対話できない。

・合理性段階
「宗派を越えた対話」「ダブルループラーニング」
自身の前提を相対化できる。

・前期ヴィジョン・ロジック段階
無意識を相対化できる。
他者に対し、私自身をも相対化できる。
➡他者の価値観から物事を見ることができる(共感、想像力)
➡存在そのものがフィクションであるという認識。ポストモダンへ。※ポストモダンと仏教の親和性

■読み書きと評価
他人に分かるように伝える、というのは非常に高度な能力である。
よく読むことができるのに国語のテストはできない、という子ども。
➡ザック・スタイン 学習における測定の位置づけ

国語力は伸びない。
国語によって算数の成績が決まり、算数によって理社が決まる。

■話し言葉から書き言葉へ
話し言葉は、空間、時間を共有している相手にしか伝えられない。
書き言葉は、空間、時間を超越する。➡他者、世界への気づき


■言語と身体性
我々の言語はメタファー思考にもとづく。
「宇宙は大きい」というのは、自分の身体と比較して語っている。
「明らかにする」という表現は、視覚のメタファーである。

身体性(body)と言語(abstract)の関わりは密接であると同時に、大きなジャンプでもある。
抽象化される前の情報量が貧しいと、そこから生まれる概念も貧しい。

英語が得意な人は、自分の身体的感覚と英語を結びつけるのが上手い。

※オイリュトミー…音ごとに動きが存在し、更に感情が加わる。神道にも見られる発想。
音の持つ神秘性、霊性にシュタイナーは気づいていた。

■感覚と言語
そもそも感覚が5つに分かれている、ということは自明ではない。
シュタイナー教育では、「十二感覚論」を採用している。

言語も一つの感覚ではないか?我々は言語を手足と同じように使っている。

経験から抽象を取り出す力を積まないと、他者の経験を自分のものにできない。
ファンタジーは、bodyのレベルを俯瞰的に追体験する。

「読書に没頭することとルービック・キューブに没頭することは同じか?」
➡モンテッソーリの気づき「子どもは誰から教授されずとも、そうした具体物への没頭の中で、自ら抽象概念(法則)を取り出すことができる」

「音読と黙読はどのような関係にある?」
聞く、話すは話し言葉=bodyの次元
読む、書くは書き言葉=abstractの次元

音読は自分で口を動かす、音をだすことが大事なのか。その音を聞くことが大事なのか。

読めている=「本を読む姿勢ができている」
外界との関わりを断って、本の世界に没入できているということ。

読むときに内面的に声がしている人、そうではない人がいる。
➡自分の経験では、論述的な文章は内面で音読しているが、物語ではセリフなどのみ音がしている感覚。


松岡正剛「人類が黙読を始めた時期と、無意識に気づいた時期が重なる」

ウィルバーやヴィゴツキー、工藤先生、シュタイナーの理論を統合して考えれば、読書感想文を小学校低学年段階の子どもに書かせるというのは極めてナンセンスなのではないか?



■自分の中で消化されなかった問い、気付き
・工藤先生は、ファンタジーにおける愛や未知への好奇心が子どもにとって、周りの世界に対する信頼を形作るとしているが、そこのつながりがよくわからない。
・ヴィジョン・ロジック段階の思想である脱構築では、言語すら解体されてしまう。そんな世界では、言語は発達とどのように関わるのか?
・感覚を研ぎ澄ませることで見えるもの、逆に抽象世界の概念を知ることで見えるものがある。
(前者の例は瞑想、後者の例としては、サッカーのルールを知らない人と知っている人ではゲームの見え方が違う、など)この2つの関係性についてうまく説明したい。
・インテグラル理論や、メタ的、統合的な理論の意義は、多分世界のありのままに近づくための方法を教えてくれることではないか。













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