2014年9月30日火曜日

「なぜ国際バカロレアなのか?」の個人的要点まとめ

日本の教育界一大トレンドである国際バカロレア(IB)について、個人的な要点をまとめてみる。
身の回りの知人や友人の間でも、IBに対する関心は高く、導入の意義や是非について多く意見を聞いた。
そうしたなかで、今現在の自分の中でのIBに対する理解をまとめておきたい。
(IBの概要については、ここでは言及しない。入門としては、坪谷ニュウエル郁子著『世界で生きるチカラ』などがおすすめである。)

①既存の評価・選抜システムの相対化

IBは、後期課程(DP)に限ればすでに世界で100カ国以上で導入されている、「権威」づいたプログラムである。
オックスブリッジやアイビー・リーグが認めている評価基準は、日本の東大を頂点とした受験システムを相対化するだけの権威がある。
それは、これまで学習指導要領の体系の中では評価されにくかったが、IBにおいては評価されやすいという子どもが救われることを意味している。
言うなれば、これまで文部科学省主導で定められていた”学力観”というものさしが、唯一絶対のもではなくなることで、既存の教育からはみ出していた子どもたちの一部が社会的に認められる教育達成を実現できる可能性が生まれるのである。

②国際バカロレアを突破口にした多様な教育機会の保障

前項と関連して、よく勘違いされているのが、「国際バカロレアはグローバルで先進的で、学習指導要領よりも素晴らしいから沢山導入するべきだ」という考え方である。
しかし、これについては日本における国際バカロレア導入を推進する、国際バカロレア機構アジア太平洋地区理事の坪谷ニュウエル郁子氏が明確に否定している。

坪谷氏は、「国際バカロレアを突破口として、子どもたちに多様な教育を選択する機会を提供したい」と語っていた。

IBに限らず、シュタイナーやモンテッソーリ、自由学校、サドベリー、その他フリースクールなど、オルタナティブな教育というものはすでに存在している。しかし、日本におけるそうしたオルタナティブ教育を行っている教育機関の割合は、全体の1%にも満たない。
例えば教育先進国と呼ばれるオランダなどでは、約1割程度がこうしたオルタナティブな教育を提供している。

どの教育が本当に優れているかどうかは、その教育を受ける子どもによって異なるという前提を認めるならば、真に求めるべきはより良い全国画一的な教育プログラムではなく、多様な教育プログラムを選択できる可能性を平等に確保することであろう。

そうした意味で、坪谷氏はIBを絶対的な良いものとしてではなく、あくまで選択肢の一つとして、日本の画一的な選抜システムを戦略的に揺さぶろうとしている。

③教員の創造性を重視する仕組み

IBの特色として、教員が扱う教材は教員自身が決めることができるというものがある。
カリキュラムのテーマに沿ってさえいれば、何を用いて指導するかは教員が決めることができる。
その際、IBコーディネーターと呼ばれる人が、教員とディスカッションなどを交わしながら、教員の指導計画がIBのカリキュラムに沿うものとなっているか、指導の目的と手段が合致しているかなどのクオリティ・コントロールを担う。
しかし、IBコーディネーターはあくまでも教員の創造性を最大限に活かすために対話を行うのであり、コーディネーターが教員に対して「このようにやりなさい」と言うことはない。

ここに見られるのは、教員の有能性を信じ、教員が最大限能力を発揮することが結果的に子どもたちにとっても最大限良い影響を与えることに繋がるという信念である。

④徹底した外部評価

前項では、教師に対する有能観という価値観について述べたが、一方で結果の担保に対しても厳しいのがIBの特徴である。
IBでは、課程によって細部は異なるものの、基本的に担当教師が国際バカロレア機構の基準にもとづいて生徒の評価をした上で、更に外部評価をそこに加える。
担当教員が生徒への思い入れや贔屓感情などによって不当な評価をしていないかどうか、外部の目で二重に評価することで、より客観的な評価を目指している。

この外部評価と、教員による評価の食い違いがあまりに大きい場合、教員としての能力適正を疑われることにもなるため、必然的に教員も客観的な評価を意識せざるを得ない。

このように、教員の有能性を信じつつも結果に対してシビアに向き合うという姿勢を両立させている点が、プログラムとしての国際的な評価に繋がっている。

⑤「10の学習者像(Learner Profile)」

IBを端的に述べる際にもよく引かれるのが、この10の学習者像というものである。
IBが目指す教育理念を学習者像という形で表したものである。

Inquirers
探究する人
Knowledgeable
知識のある人
Thinkers
考える人
Communicators
コミュニケーションができる人
Principled
信念のある人
Open-minded
心を開く人
Caring
思いやりのある人
Risk-takers
挑戦する人
Balanced
バランスのとれた人
Reflective
振り返りができる人
(文部科学省HPより)

では、この学習者像は何が良いのか?
目指す教育ということであれば、文部科学省も「生きる力」といったビジョンを発表している。


「生きる力」=知・徳・体のバランスのとれた力
(文部科学省HPより)


この2つを見比べた時に個人的に面白いと感じたのは、学習者像の「振り返りができる人」という項目だった。
その他の項目は、おおまかに「生きる力」の各項目に分類することができる。
しかし、この「振り返り」に関しては、「生きる力」からは読み取ることが難しい。

リフレクションという概念は、IBの中では特に重要視されているようで、授業の終わりの振り返りや学期の終わりの振り返りなどは徹底している。

日本の学校でも、振り返りを行っているところはある、という反論もあると思われるが、個人的な経験から言えば、当時その振り返りがどんな意味を持つのかよく理解できていなかったし、生徒に振り返りのできる人間になって欲しいという期待は感じず、ただ授業の成果が抜け落ちないようにしたい、という教師の意図を感じるのみであった。

生涯学習といったテーマに通ずるこのリフレクションという概念をいち早く教育プログラムの中にしっかりと組み込んでいる点は、非常に興味深いものだと感じた。




以上が、個人的にIBについて面白いと感じている点である。
ここには記述しなかったが、もちろんその問題点なども多く予想される。また、IB自体に価値があっても、文科省主導によるIB導入がうまくいくかどうかはまた別の問題である。

しかし、少なくとも学習指導要領の絶対性が揺るがされるという事態は、教育変革の可能性を感じるものである。
戦後新教育やゆとり教育のように、実証的な成果研究がしっかりと行われないうちに世論に改革の機運が握りつぶされないよう願うばかりである。

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