2014年12月22日月曜日

「アクティブ・ラーニング」の今後の課題と所感(Integral Education研究会12月回メモ)

次期学習指導要領改訂の主要なトピックの一つが、「アクティブラーニング」の初等中等段階への導入である。

(参考:下村文部大臣の中教審への諮問→http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/1353440.htm


アクティブラーニングとは、文部科学省の定義によれば、

「教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり、学修者の能動的な学修への参加を取り入れ
た教授・学習法の総称。学修者が能動的に学修することによって、認知的、倫理的、社会的能力、
教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る。発見学習、問題解決学習、体験学習、調査
学習等が含まれるが、教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワーク
等も有効なアクティブ・ラーニングの方法」(文部科学省 2012)
 である。

アクティブラーニングの定義は上述のように広く、近年急速に広まっている21世紀型スキルやOECDキー・コンピテンシーといった能力を身につけさせる革新的な教育手法として、PBL(Project Based Learning)や、反転授業、学び合いなども含んだ広義の非一斉型授業として理解してよい。
なぜなら、その本質は、「学習者の主体性」に起因しているためである。

こうしたアクティブラーニングのメリットは、協働能力を育めること、個別に最適化された学習を設計しやすいこと、学習者の主体性ゆえに高い学習効果を期待できること、などなどがよく挙げられている。

また、2002年に総合学習が学習指導要領に採り入れられた際との違いは、アクティブラーニングの方法論を文部科学省が積極的に提示している点である。

従来、教員は一般に指導の方法論を”上から押し付けられ”ることを嫌っていたが、今回の改訂では方法論としてアクティブラーニングが含まれており、画期的との見方もある。

シティズンシップ教育やエンパシー教育、ESD(持続可能な開発のための教育)とアクティブラーニングの関係性についても、その相性の良さから論じられることが増えてきた。
そうした点からも、「次世代型」の学習法としてアクティブラーニングは徐々に受け入れられ始めているように見える。


さて、こうした動きにはもちろん批判も多い。
主要な批判の一つは、評価の難しさである。従来型のペーパーテストによる数値評価だけではなく、より多角的な評価が必要であるが、現実に十分に有効であるといえるような評価方法は開発されているとはいえない。
ここには、アクティブラーニングを先進的に導入してきた北欧型社会の「評価観」は、未だに日本では十分に広まっていないという状況がある。


また、こうした多角的な評価は、本田由紀氏が指摘するように、ハイパー・メリトクラシー化を推し進め、より出身階層間での教育格差を助長するものである、といった社会学的な観点からの批判もある。


発達的な観点から言えば、こうしたアクティブラーニングで想定される「集団」の発達段階が考慮されることは少ないと言わざるを得ない。
小学校段階で想定されるアクティブラーニングと、社会人段階で想定されるアクティブラーニングは、扱うテーマには差があるとしても、手法自体はほぼ同じである。
また、集団内のある発達段階に属する個人の割合によって、アクティブラーニングの効果はどのように変わってくるのかなどの研究成果はまだ提出されていないようだ。


このように概観すると、やはり日本におけるアクティブラーニングの受容は、どうも方法論先行の受容のように思える。課題解決のために導入するというより、とりあえず良さそうなアイデアに飛びついた格好である。

そこには、実際に教育を受ける子どもたちや学習者に対する眼差しが驚くほど欠けている。
結局のところ、業績達成は個人の努力の問題であるという潜在的な新自由主義的価値観が、教育政策を支配しているのである。

教育格差をまさに生み出しているその弱者切り捨ての価値観を省みることなしには、公教育における根本的な教育の平等の問題は解決されえないのではないか。

「学習者主体」という建前が建前に成り下がることの無いように、本質的な価値観の転換をもたらすような有用な思想を提示することが、何よりも教育改革において先決である。

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