2016年11月15日火曜日

「人権」について―アガンベンの『ホモ・サケル』を参考にして考えたこと

 ジョルジョ・アガンベンの『ホモ・サケル』における記述は、「人権」という概念を手放しで賞賛する態度を相対化することに役立つ。もちろん、「人権」を盾に身勝手な主張で他者を抑圧するような政治的活動は「人権」にかぎらず辟易とするものであるが、そうした実際的な局面ではなく、人権という概念装置そのものが生政治的権力と手を結ぶものであることをアガンベンは明らかにしている。

アガンベンによれば、人権はファシズムやナチズムなどの非人道的な権力に抗するものとして生まれたのではなく、「いかに逆説的に見えようと、ファシズムとナチズムは国民主権と人権宣言によって開かれた生政治的な背景の前に置かれてはじめて十全に認識可能なものとなる」(p. 180)のである。


すなわち、人権とは「生まれ」(=自然的な生、ゾーエー)を法的―政治的次元へと取り込むものであった。国民が主権者となることができるのは、この自然的な生においてなのだ。(アンシャン・レジームにおいては、こうした生まれと主権の原則は分離されていた。王権神授説を想起すればよい。)


「19世紀と20世紀の近代国家を基礎づけるのは、自覚ある自由な政治的主体としての人間ではなく、何よりもまず人間の剥き出しの生なのである。」(p.178)


こうして、市民の基礎としての人間の剥き出しの生が政治的な要素として隠された形で主権構造に埋め込まれた。しかし、ここには「生まれ」(人間)が「国民」(市民)に即応するという虚構があった。これが虚構であることは、出生と国籍が分断されている難民を想起すれば言うまでもない。ファシズムやナチズムは、こうした人間と市民の自動的な対応が崩壊しつつある中、「ドイツ人とは何か?」という人間学的で多義的であった問いを政治的なものとして引きうけ、その境界線を再定義する権力として現れたのである。アガンベンによれば、こうした境界線を絶えず画定し、新たな剥き出しの生を生み出していくものが近代における生政治の特徴であるとされる。


一方、こうした状況の中で市民権の前提としてのみ意味を持っていた人権は、次第に市民権の文脈の外部で剥き出しの生を表象し保護するという目的のために用いられるようになった。(p.183)
こうした状況は人道的なものと政治的なものの分裂として捉えられる。しかし、こうした人道的なものは、まさに政治的なものと分離しているがゆえに、「主権が自らの基礎としている聖なる生の分離を再生産することしかできない。」(p.185)


つまり、聖なる不可侵なものとしての人権は、難民の生を剥き出しの生や聖なる生として描き出すことによって救助や保護の対象としての生とするのである。問題にされるべきは、剥き出しの生や聖なる生を分離し、例外化する生政治、生権力そのものの構造であるにも関わらず、政治と分裂しているがゆえに人権は問題に向き合うことすらできない。むしろ、そこで剔抉された悲惨な剥き出しの生を「追認」するという形で「相手取って闘うべき諸勢力とのあいだに心ならずも秘かな連帯を維持している」のである。


アガンベンは、「難民という概念(および難民が表象する生の形象)を人権概念からきっぱりと分離しなければならない」(p.185)と述べる。難民は、人権という倫理的な要請から救助されるべきものではなく、近代の国民国家の基礎的な諸範疇を危機に晒す「限界概念」として見るべきなのである。


こうしたアガンベンの分析は、現代社会において不平等や不正義と闘う上で非常に意義深い示唆を与えてくれる。すなわち、もし不正義や不平等を解決したいのであれば、人権というものを社会的弱者が「救われるべき」正当性の根拠としてはならないということである。
アガンベンは、『到来する共同体』の中で、特定の属性に依拠しない、単に「存在する」という事実を分かち合うことによって成立するような共同体を構想した。仮にそのような共同体が成立するとするならば、その普遍性こそ人権と称するに値する原理ではないだろうか。政治化されたゾーエーを再び存在論の位相に差し戻すことが、目指されるべき「人権」概念の役割ではないだろうか。