2014年4月28日月曜日

柴田義松『ヴィゴツキー入門』2006

ピアジェと並ぶ、「心理学におけるモーツァルト」とまで評されたロシアの天才心理学者、ヴィゴツキーの入門書である。

入門書なだけあって、全体的に平易に語られており、内容も広く浅く、といった印象を受けた。

ヴィゴツキーの発達理論の要諦は以下だと理解した。

・教育は、一人では出来ないが、協同によって達成できる<発達の最近接領域>に合わせて行われるべきである。
・精神発達は、生物学的/個的な所与の条件によってのみ解明されるものではなく、文化的/社会的/歴史的環境に影響を受ける。
・子どもの発達を媒介するのは、言語である。高次の精神機能は、他者とのコミュニケーションなどの外部に向けた社会活動と、内省的、論理的思考などの内部に向けた活動において立ち現れるが、その際双方とも言語を心理的道具として用いている。
・具体的、直接的な経験によって形成される生活的概念(自然発生的概念)と、抽象的、間接的で体系性を持つ科学的概念の結び合わせがあるべき学習の本質である。

正直なところ、ヴィゴツキーの代表的著作『思考と言語』や筆者がおすすめしている『教育心理学講義』を読まないと、何も分からないという感覚に包まれている。

ヴィゴツキーの興味深いところは、言語と発達の関わりについて鋭く洞察しているところと、発達というメカニズムの本質を明らかにしながら、教育の意義をしっかりとそこに組み込んでいるところだと思う。

特に後者については、よく幼い子どもたちの発揮する創造性を目の当たりにして、まるで偉大な芸術家であるかのようにその有能性を崇拝する思想や、児童中心主義的楽観論と距離をとり、現実的で説得力のある理論を展開しているところが好ましく思えた。

ヴィゴツキーは、フロイト心理学やゲシュタルト心理学がまるで世界の根本の理論であるかのように振る舞っていったことを強く批判している。
(今日でも、「全ては性欲だ」などといった言説は自覚的無自覚的にかかわらず我々の世界には根強く浸透している観念だろう)

苫野先生の著書を読んでいて思ったことだが、本質とか真理とかいったものは錐体のような形なのだと思う。
「真実は多面的だ」などいった話はよく聞くが、それだけでは足りない。
真理は確かに様々な面を持つが、それと同時に深み、高さを持っている。(更に言えば時間的な概念もあるだろうが)
全てが並列に並び立つ”多様性”の世界ではなく、様々な洞察を統合していく洞察もまたありうる。
そこにあるのは水平の関係性ではなく、垂直的な関係性のはずだ。

もちろん、そうした垂直性を優劣の基準として捉えることは致命的な誤謬であるし、人類の危機をもたらす。そこをどう乗り越えるか、というのが今後の課題だろうか…


書評からだいぶ脱線してしまった気がするが、ヴィゴツキーは日本ではピアジェなどと比べてあまり知られていない気がする。(ヴィゴツキー的な教育実践は数多くあるとしても)

とても興味深い理論なので、ぜひ一度手にとって見てはどうだろうか。

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