これは、国際団体ATC21sが2009年に提唱した、これからの時代に求められる能力のことである。
当然、教育は時代にあったものであるべきだし、その意味でこうした定義は各国の教育政策の根幹に影響する非常に重要な提言であると思う。
21世紀型スキルについては、実は様々な定義がまだ存在しているようだ。
多くの場合、次世代に求められる能力、といった意味で使われているため、人によって細部の定義が異なっている。
「21世紀型スキル」というATC21sが提唱している定義によれば、21世紀型スキルとは以下の10つである。
思考の方法
1. 創造性とイノベーション
2. 批判的思考、問題解決、意思決定
3. 学び方の学習、メタ認知
働く方法
4. コミュニケーション
5. コラボレーション(チームワーク)
働くためのツール
6. 情報リテラシー
7. ICTリテラシー
世界の中で生きる
8. 地域とグローバルでよい市民であること(シチズンシップ)
9. 人生とキャリア発達
10. 個人の責任と社会的責任(異文化理解と異文化適応能力を含む)
1. 創造性とイノベーション
2. 批判的思考、問題解決、意思決定
3. 学び方の学習、メタ認知
働く方法
4. コミュニケーション
5. コラボレーション(チームワーク)
働くためのツール
6. 情報リテラシー
7. ICTリテラシー
世界の中で生きる
8. 地域とグローバルでよい市民であること(シチズンシップ)
9. 人生とキャリア発達
10. 個人の責任と社会的責任(異文化理解と異文化適応能力を含む)
出典:「ATC21s 益川弘如研究室」(http://connect.ed.shizuoka.ac.jp/masukawa/index.php?ATC21s)
引用先の益川先生の研究室では、10つの能力を更に4つに分類している。
全体を見てまず思うのは、「どれもまあ必要だよね」ということである。
これからの時代に求められる能力として、先にOECDの上げているキー・コンピテンシーがあるが、そこでも概ね同じような項目が並んでいる。
ここで言われるこれからの時代とは、よりグローバル化が進み、情報技術が発達し、様々な科学領域がより専門性を増し、複雑化するといった時代である。
つまり、何が正しいのかがわからず(明日にも正しいと信じていることが変わる可能性があり)、様々なバックグラウンドを持った人々と協働する必要があり、高度な情報機器を扱える必要がある時代である。
さて、ここで言いたいのは自分なりに21世紀型スキルを見直す!などといったことではなくて、この21世紀型スキルというものを考えたときに持った違和感、そこから得た気付きについてである。
上記のような背景でうまれた21世紀型スキルは、トップダウンのものとして作られた概念である。
これからの時代、というものを想定し、そこから下ろしてきている。
したがって、現場で子どもと向き合っていた2年間ほどの間、この21世紀型スキルというものに対しては常に現実味を感じなかった。
「重要だとは思うけど、そんなことより引き算の繰り下がりできるようにしなきゃ」と思っていたし、
問題解決能力や協働能力といったものが例えば算数の授業から培われる、というのはどこか無理があるような気がしていた。
しかし、先日プレーパークへ行った際に、ふと感じたことがある。
「こうした遊びの延長線上に21世紀型スキルがあるのではないか?」
プレーパークについてはこちらの記事で書いたのでもし興味があればぜひ読んでいただきたい。
子どもたちが遊びの中で見せる創造性や、子ども同士で意見が対立した際(コンフリクト)の解決力、協力して1つの成果物を作る協働能力、つきない好奇心etc
こうした力が、21世紀型スキルに結びついているのではないか?
これまでトップダウンに作られた「お題目」のようにしか思われなかった21世紀型スキルというものが初めて中身を持ったように思われた瞬間だった。
つまり、これからの時代に求められる能力というのは、我々が何か適切な教育を受けて後天的に獲得するものではなく、生得的に備わっている人間本来の力なのである。
こうした力が、21世紀型スキルに結びついているのではないか?
これまでトップダウンに作られた「お題目」のようにしか思われなかった21世紀型スキルというものが初めて中身を持ったように思われた瞬間だった。
つまり、これからの時代に求められる能力というのは、我々が何か適切な教育を受けて後天的に獲得するものではなく、生得的に備わっている人間本来の力なのである。
人間が人間らしく発達する手助けというのが実は教育の本義であり、まかり間違っても時代や社会に合うように成形するなんてことではないのだ。
「スキル」という言葉は、何か修練をつむことで得られる技能を意味するが、それだけでは本質的な意味で時代に求められる力というものを捉えられていない(例えばコミュニケーションツールとしての英語やITリテラシーなどはスキルに分類される)
人が本来持つ資質こそが、結局は人が自分の人生を生きるために最も必要な力だったのだ。
こうした資質が本当に全ての人間に平等に与えられたものであるのかについては、まだ不勉強なためなんとも言えないところがあるため、今後の考察の課題としたい。
例えば発達障害者などにおいても同じことが言えるのか、などは探求する必要があるはずだ。
ともあれ、自分の中では非常に大きな気づきだった。
人として生来持つ力を歪んだ教育によって鈍らせてはならない。
それが自分の目指したい教育のあり方なのだと思った。
「スキル」という言葉は、何か修練をつむことで得られる技能を意味するが、それだけでは本質的な意味で時代に求められる力というものを捉えられていない(例えばコミュニケーションツールとしての英語やITリテラシーなどはスキルに分類される)
人が本来持つ資質こそが、結局は人が自分の人生を生きるために最も必要な力だったのだ。
こうした資質が本当に全ての人間に平等に与えられたものであるのかについては、まだ不勉強なためなんとも言えないところがあるため、今後の考察の課題としたい。
例えば発達障害者などにおいても同じことが言えるのか、などは探求する必要があるはずだ。
ともあれ、自分の中では非常に大きな気づきだった。
人として生来持つ力を歪んだ教育によって鈍らせてはならない。
それが自分の目指したい教育のあり方なのだと思った。
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