2014年4月8日火曜日

内省と身体化

ブログを始めてみました。

理由はまたおいおい書くとして、まずは続けることを目標に。週3ぐらいで更新できたらいいなあ…

最初のテーマは、常々感じていた「全ての行動に意図を持つ」というものに対する違和感について。
(しょっぱなから某団体向けな記事になってしまった笑)

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学習を促進する、という立場に立ったとき、学習のメカニズムについて理解を深めることは非常に重要である。
中でも内省と身体化ということをセットで捉えるのは、学習をデザインする上で重要な理解の枠組みだと思っている。
(広義の「学習」には内省を必要としないような知識の詰め込みなども含まれると思うが、ここでは内省を要するレベルの学習について述べる)

学習理論において「内省」の重要性は至る所で叫ばれているが、一方で「身体化」についてはあまり語られることが無い印象を受ける。

内省とは、自身の行動を客観的に省みることで、無意識の固定観念(メンタルモデル)を発見し、「気づき」を得るというプロセスだ。
ハーバード教育大学院の発達心理学者であるR.キーガン氏の言う「適応(知性の発達)を要する課題」と向き合う際に効果を発揮する。

それに対し身体化とは、反復や訓練によって、意識せずともその行動をとれるように身体に染み付かせる、ということである。

つまり、内省は無意識を有意識に、身体化は有意識を無意識にしていくものだと捉えられる。


内省によって得た気づきを、訓練や反復によって身体化し、無意識にそれを行えるようになって初めて学習といえる。
どちらか一方に偏ってはいけない。

内省なき反復は、不適切な学習を引き起こす可能性がある。
例えば、ゴルフを学ぶ際、最初に間違ったフォームを覚えてしまうとその後変えづらくなってしまうなんて話はよく聞く。
かといって正しいフォームについて「腕の角度はこうで、足の開き幅はこうで…」とやたら詳しくても、練習していない人は対してゴルフは上手くないだろう。

内省によって気づきを言語化して満足するのではなく、その気づきを行動に落としこんで繰り返し実践する。
自分がしっかりと実践できているか、自分だけではなく周囲からの評価も含めて検証しながら、いつしか無意識のうちに自然とそれができるようにする。
そのためには多くの反復と時間が必要だが、それを怠ってしまうと結局のところ「あの人いい振り返りしてたのにあんまり成長してないよね」となってしまう。
意識して繰り返していたことがいつの間にか無意識にできるようになっていた、というのが理想である。


僕が関わっていたLearning for Allという団体では、「全ての行動に意図を持つ」ということが重要だというポリシーがあった。
この教えは組織に内省の土壌を育むという点で非常に素晴らしいと思う。
一方で、それはあくまで通過点にしか過ぎないのではないか?と思うのだ。

全ての行動に意図を持ったあと、無意識にそう行動できるようになって初めて学習したといえる。
やるべきことを息をするようにできること、と言い換えても良い

その道の達人と呼ばれる人たちは、みな洗練されたオーラをまとっている。
それはきっと、意識して「こうすべきだ」と考えているのではなく、必要なことを無意識に自然体で実践できているからだと思う。

人間やるべきだと分かっていてもそんなにあれもこれもちゃんと意識して出来ないものである。
1つずつ、まずは意識しなくてもできるように繰り返し続けていけば良いのではなかろうか。

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自分自身、内省に偏ってしまうので自戒を込めて書いてみた。

内面的な発達(内省)が外面的な発達(身体化)と強く関連するというのはインテグラル理論とも整合するように思われるが、ここでは深く触れないことにします笑

ではでは。

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