2014年5月20日火曜日

「ダイアローグ温泉」

「ダイアローグ温泉」という言葉が、最近日本にダイアローグを持ち込んできた人々の間で流行っているらしい。
ぬるま湯に浸かりきった偽物の”ダイアローグ”ということだろう。

ダイアローグとは、単なる情報のやりとりとしてのコミュニケーションを越えた、話し手と聞き手が、互いの価値観や背景、感情などを理解し、共感した上で行われる建設的な対話のことをいう。
学習する組織を代表とする、様々な組織論や課題解決の手法として、近年よくとりあげられるようになった。

この「共感」という部分が曲者である。
相手の意見を、一つの意見として肯定することは確かにダイアローグの前提となるが、「あなたの意見は良いと思います。でも僕は違う意見です。お互い尊重しましょうね」といって終わってしまうのは、真のダイアローグではない。
「みんな違ってみんな良い」がダイアローグの本質ではない。

日本人の和を重んずる文化的深層心理に拠るものなのか、それとも世界中で同じように見られるものなのかは分からないが、この「ダイアローグ温泉」というのはよく見られる光景であるように思う。

これに対し、「対立を恐れるな」という言説もまた、よく言われる話であるが、そもそも「対立」という捉え方自体に、実は落とし穴があるのではないかと思っている。



知人からお借りしたマーシャル・B・ローゼンバーグ『NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法』を読んだ。
NVCとは、「Non-Violent Communication」の略で、名前の通り、マハトマ・ガンジーの「非暴力」という思想に由来する、暴力を解決するためのコミュニケーション方法である。

NVCの4つの要素は、

  1. 観察(observation)
  2. 感情(feeling)
  3. 必要としていること(needs)
  4. 要求(request)

と説明される。

評価を交えない具体的な事実を観察し、言及すること。
自覚した感情を表現し、また相手の感情を汲み取ること。
感情の奥底にある欲求、固定観念に至ること。
上述のプロセスを経て、互いを豊かにする建設的で具体的な要求を示すこと。

である。

これを読んだ時、とっさに思い浮かんだのはコルトハーヘンのリアリスティックアプローチである。
コルトハーヘンは、教師の内省を深め、本質的な気づきを得るためのアプローチとして、教師と子どもそれぞれについて、Do(行為)、Think(思考)、Feel(感情)、Want(欲求)の4つを省察し、それぞれの連関を把握する、という手法を提案している。

NVCとリアリスティックアプローチに共通するのは、感情や欲求といった、不可視ではあるが、我々の行動を最も強く規定している深層を見ようとする態度である。
このことは、内省的な振り返りによって、コミュニケーションにおいて共感を生むことができる、ということを示している。

NVCに求められるのは、相手の話を聞いて、適切なアドバイスをあげたり、自分の経験を語ったりするような態度ではなく、「ただそこに在る」という共感の態度である。
相手という他者に対する自己として、どんな意見を持つか、という認識ではなく、自己と相手の感情や欲求が言動や無意識の行動に結びつき、相互作用を及ぼし合う有機的なシステムそのものと一体化する、そうした共存在としての在り方をNVCは理想とする。
自己と他者、主体と客体といった二元論を共感という人間本来の力によって超えているのである。

ダイアローグが意図しているのも、おそらく同じことであると思われる。
相手への深い共感と一体化の先に、真に創造的なコミュニケーションが行われる。
創造的対立は、そのとき対立ではなく、共に可能性に開かれ、よりよいものを志向する運動の息吹に変わるはずだ。

逆説的に言えば、ダイアローグ温泉になってしまうのは、真の共感が達成されていないということである。相手に共感し、また共感されていると感じているとき、自分の意見を素直に表現することは難しくない。その時、おそらく自分の意見を相手の意見に対立するものと意識して表現している人は居ないだろう。それは、素朴な要求であり、更に豊かな在り方を目指すための提案である。

我々がダイアローグをダイアローグとして用いようとする際、多くの場合何らかの問題解決を念頭に置いている。対話によって「相手を変えよう」としているのである。
しかし、このようにダイアローグの本質を考えれば、そもそも「相手を変えよう」とする態度自体がダイアローグの理念から程遠いものとなってしまっている。

自分の役割に応じた義務、例えば、教師教育者として優秀な教師を育成しなくてはならない、などといった「〇〇ねばならない」という思考こそ、NVCを阻害する大きな要因だとローゼンバーグも述べている。

こうした変容、ギャップアプローチへの信仰をどう乗り越えていくのか、あるいはビジネスの文脈ではそぐわないものとして、ダイアローグ的な理念が廃れていくのかは、21世紀の重要な課題の一つであるように思われる。







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