2014年6月5日木曜日

『バベルの学校』試写会に行ってきました。

先日、お誘いをいただいて『バベルの学校』という映画の試写会に行ってきました。

↓公式サイト
http://unitedpeople.jp/babel/

アイルランド、セネガル、ブラジル、モロッコ、中国…。世界中から11歳から15歳の子どもたちがフランスにやって来た。これから1年間、パリ市内にある中学校の同じ適応クラスで一緒に過ごすことになる。 24名の生徒、24の国籍…。この世界の縮図のような多文化学級で、フランスで新生活を始めたばかりの十代の彼らが見せてくれる無邪気さ、熱意、そして悩み。果たして宗教の違いや国籍の違いを乗り越えて友情を育むことは出来るのだろうか。そんな先入観をいい意味で裏切り、私たちに未来への希望を見せてくれる作品。 (公式サイトより)

フランスのジュリー・ベルトゥチェリ監督による1時間半ほどのドキュメンタリー映画です。

移民政策などが進んでいるフランスでは、「適応クラス」なるものがあるということは今回初めて知った。フランスに来た事情は家庭ごとに様々であり、中にはやむにやまれぬ切迫した事情でフランスに来た子どももいる。

24つの国籍を持つ生徒が一緒にいるクラスの運営など、想像もできないほどの課題と苦労があることだろう。
しかし、実際に映画を見ると、受けた印象は「どこの国でも教育的課題は似たようなものなのだな」というものだった。

親の子どもに対する期待と、それに反発する子供。
厳しい家庭事情から、突如として転校を余儀なくされる生徒。
成績が振るわず、進級が認められないことを受け容れられない生徒。
自由の国とうたわれているフランスでさえも無くならない、適応クラスの子どもたちに対する偏見。

個々の事情に、社会的な影響があることは言うまでもないが、しかし日本でも同じような問題は起こり得るし、起こっている。
子どもたちの「よく生きたい」という思いは、どこの国のどんな子どもであろうと、全身から訴えかけてきている。


個人的には、保護者の思いにも非常に共感してしまった。

「この子には良い大学に行ってほしい。故郷に戻ったら女性器切除をしなくてはならない。それはこ
の子の幸せのためにはならない」

悲痛な保護者の願いは、親の子どもに対する期待の押しつけは良くない、という一言の正論で片づけられない重さがある。


リード文にあるような「未来への希望」を感じる作品かといえば、そうとも言い切れない気がする作品だった。
ドキュメンタリーという作品についての一般的な考え方について明るいわけではないが、物語ではなく現実を切り取った描写であるとするならば、そこに希望を見るのも絶望を感じるのも見た人の自由であるはずだ。
そこに製作者の恣意が紛れることを否定はできないにしても、そういった意味でなんだかすっきりしない、というこの作品はドキュメンタリーとして良質であるように思う。

「これを見れば多様性がわかる」とか、「子どもたちの可能性は素晴らしい」といったメッセージ性を期待してみた人は、きっとどこか釈然としないものを感じるはずだ。
この作品の中では、多様性も可能性も、現実の厳しさもありのままのものとして描かれている。そこに良いとか悪いといった価値観は存在していない。

しかし、そんなモヤモヤが、物語としての多様性や子どもの可能性に対するアンチテーゼでもあり、ゆえに心に残るものとなるのだろう。


近頃読書に引きこもってばかりの自分をたまには外に連れ出してくれたこの巡りあわせに感謝しつつ。

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