2015年4月8日水曜日

【イベントレポ】「かわいそうだから助ける」への疑問と地域の可能性について

先日参加させていただいたイベントの感想と考えたことについて。

こちらのイベントに参加してきました。
http://www.earthday-tokyo.org/2015/04/02/2175

講師は、一般社団法人つくろい東京ファンド代表理事/自立生活サポートセンター・もやい理事の稲葉剛さんと、NPO法人豊島子どもWAKUWAKUネットワーク理事長の栗林知絵子さん。

就労よりもまず入居を支援することの必要性


稲葉さんは、ホームレスを中心として、湯浅誠さんらと共に長年貧困問題に取り組んできた方である。
そのお話では、住まいの支援が如何に重要かということを強調されていた。
一般に、貧困問題というと就労支援が主な支援としてクローズアップされることが多いが、それよりもまず住まいをしっかりと確保することが何よりも肝要であるという。(ハウジングファースト)

その理由は、まず、住宅が無いということは生死の問題に直結するということがある。
冬の厳しい寒さの中、野宿を強いられることは、特に高齢のホームレスの方にとっては軽視できない危険なことである。
実際に、稲葉さんはホームレスの方々に夜、声をかけて回って安否の確認をする夜回り活動の中で、救急車を呼ぶ事態に出会ったことがあるという。
過去の稲葉さんの調査によれば、そうした路上生活者の死者数は新宿区だけで年間40人程度にのぼることもあったらしい。

また、路上で生活するまでは行かずとも、審査に通らず住宅に入れないためにネットカフェや脱法ハウスに住む人々も存在する。(東京都ではネットカフェ規制条例によって、現在は脱法ハウスを利用する人が多いようだ)
しかし、実際のところネットカフェなどに一ヶ月宿泊し続けると、月5万円程度と決して安くない費用がかかる。
つまり、こうした通常ではない住環境にいること自体が、貧困から抜け出すための足かせとなってしまっている。

年越し派遣村で話題になった派遣寮も、不安定な住環境である。
こうした派遣寮は、派遣社員を募集する際に、住宅や家電付きであることを売りにして募集をかけるため、応募する人々はそうした支援を期待して応募する。
しかし、ひとたび景気が低迷し、「派遣切り」が行われると、こうした寮を寝床としていた人々は住居を失う。
また、こうした派遣寮は、社宅とは違い、家賃も相場並で結局働いた分の多くを家賃にとられてしまう仕組みになっていたり、家電の利用料が設定されていたりと、決して恵まれた環境ではない。

こうした人々の中には、精神的、知的な障碍を持つ人々も一定数いる。
全国的に空き家、空き部屋が増加し、有効に利用したいと考えるオーナーは多いにもかかわらず、そうした人々とは契約したくないと考える人は多い。

「かわいそうだから助ける」の問題点

印象的だったのは、「かわいそうだから助ける」という意識の問題について稲葉さんが語っていたことである。
生活保護や貧困の問題は、テレビ番組などではその「かわいそうさ」を強調するような報道が主流であり、「かわいそうだから支援すべきだ」という考え方が日本ではどこか根強いように感じられる。

しかし、「かわいそうだから助ける」というのは、「かわいそうじゃなかったら助けなくていい」ということと表裏一体なのではないかと稲葉さんは言う。
ある芸能人の母親が生活保護を不正に受給していたというニュースが、連日のように報道されて多くの人々がそれに便乗したように、かわいそうに見えない人が不正に支援を受けることに対して日本人は非常に怒りを感じるのである。

だが、生活保護の捕捉率は依然として2割程度という低い水準であり、助けられるべき人の多くは支援を受けられていない。
そもそも、健康で文化的な最低限度の生活が保証されるべきなのは、そうじゃないと「かわいそう」などといったロジックの次元ではなく、人権の観点から成立している普遍的な原理である。

確かに、税金を無駄に使われているのだから、不正受給に怒りを感じるのはもっともだ。
しかし、生きることを保証するというのは、それ以前の問題である。
生活保護を受けることは恥だとおもうべきだと述べた政治家が居たらしいが、恥ずべきはまず我々の人権意識の未熟さではないだろうか。

また、こうした問題に取り組む人々も、「かわいそうだから助けるべき」というロジックで訴えかけていないか、自戒を込めてしっかりと省みる必要性があると思った。

「地域の子どもは地域で育てる」

もう一方の講師、栗林さんは、豊島区池袋で子どもの支援をされている。
無料学習支援、プレーパーク、子ども食堂という3つの事業をされていて、子どもをとりまく問題について幅広い角度から支援を行っている点が素晴らしいと感じた。

設立からまだ4年程度と短い時間しか経っていないにもかかわらず、包括的に支援を実施できている理由は、栗林さんの行動力と、地域という枠組みのポテンシャルだと思う。

もともとは栗林さんが地域のある子どもの受験勉強を手伝い始めたところから、活動は始まった。
勉強を教えるために、大学生が必要だから知り合いの大学生に声をかける。
地域の子どものことは、地域で支援するという考え方から、地域の人々からカンパを募って受験のための資金を集めた。

もちろん実際にはもっと多くの苦労や過程があったのだと推察されるが、簡単に言ってしまえばそうした活動が地域の人々の共感を呼び、巻き込み、いつしか団体設立ということに繋がったのだと思われる。

地域の中から弁護士や精神保健福祉士といった専門性を持つ人々がゆるやかにつながり、各々のできることを活かして支援が広がった。
安いお金で子どもたちに健康でバランスのとれた食事を提供する子ども食堂も、地域の人々からの申し出があって場所を確保することができたとのことである。


こうしたモデルは、この先もっと広がっていくのかもしれないと感じた。
「地域の子どもを地域で育てる」という考え方は、実は理にかなっている。
無縁社会と呼ばれるような現代社会、ましてその象徴とも言える池袋という都会の地で、こうした社会を結び直すような試みが着実に成果を上げていることは、大きな希望の光だと思う。






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